心に響いた言葉:「愉快に生きよ」



ふと手にした冊子をパラパラとめくっていた時、目に飛び込んできた言葉があった。

 

「今日一日、

 怒らず、恐れず、悲しまず、

 正直、親切、愉快に生きよ。」

 

       中村 天風

 

 

この中で、何よりわたしに欠けているのは

 

   愉快に生きる

 

ということ。

 

「ハイポーズ」で撮った写真でない限り、

わたしはいつも怒ったような顔をして写真に写っている。

 

 

真面目な顔をして写っていると言えば聞こえはいいが、

自分で見ても正直怖い顔だといつも思う。

 

 

初めて素の自分の顔を客観的に見た時は

本当にショックで、夫に

「この写真の私、すごく怖い顔してない?」

と聞いてみた。

「そんなことないよ」

と言ってくれるかと思いきや、

「いつもそんな顔だよ」

と言われ、さらにショックを受けたことがある。

 

翌日、職場でその話をしたところ、

20も若い後輩に

「僕も初めてミケ子さんを見た時、怖そうな人だと思いました。

でも、話してみたら違ったので安心しましたよ。」

と笑顔で言われ、これまた地味にショックを受けたものだ。

 

子供の頃からずっと「真面目ないい子」だった。

「愉快さ」も「笑い」のエッセンスも全くなかった。

それが怖そうな表情になっているのだろうか。

 

 

「愉快に生きる」

 

愉快に生きてもいいのだろうか。

愉快に生きるってどういうことだろう。

 

「愉快」を辞書で調べてみると

 楽しく気持ちのよいこと。

 面白く、心が浮きたつこと。

 また、そのさま。

 

「愉快」=「不真面目」

ではない。

そもそも「不真面目」はいけないことなのか。

 

ぐるぐる回り始めるので、やめておこう。

 

 

ただ、

「メンターのメンター」と呼ばれる方が

愉快に生きろと言ってくださっているのだから、

アラ還女子、これからの人生は

愉快に生きていってやろうじゃないか!

お、おぅ!